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30start’s diary

e mali u e 「歩こう歩こうわたしは元気♪」

出家する覚悟


出家って言葉を使うのは、何もお坊さんになることじゃなくて。




実家の門を二度と跨がないっていう覚悟の意で使っている。




女性のわたしがするのは相当な覚悟であった。




でも、それくらいの本気の覚悟なのだ。




これは死ぬほど胸が痛かったし、苦しかった。




自分が帰属する場所が他にあるなら、どこかにツテがあるなら、その痛みにも気づかないかもしれない。




帰属するコミュニティがない状態でそれをするのは、身が引き裂かれる想いだ。




なんせこの脱皮は死ぬほどの恐怖と向き合うからだ。




これは「知る人ぞ知る」だな、、と思う。




ちょっと怖いとか、ちょっと不安とか、そんなもんじゃない。




たとえどんな親だったであろうとも、わたしは十月十日母親の腹の中で育ち産んでもらった。




産んでもらった負い目がわたしの足をひっぱり続けた。




子供にとっては何だか返しきれない恩というか、重圧というか、そういうものが重くのしかかっていた。




何か成し遂げなければ、、と急き立てられるようなアレである。




消えたと思っても、ずっとずっと消えずに奥底に潜んでいたのだ。




で、もういい加減、たまに噴出するこの感情がムカつくから潜在意識たちに聞いたのだ。




そしたら彼らは何て言っただろうか?





役目を果たすもなにも、



「産まれただけでもう役割は果たした」



と言ってきた。




「産まれて育っただけで、もう周りに影響を与えた」




そう、、


何かしなくちゃ、ちゃんとしなくちゃ、育ててもらったから親孝行して恩を返さなくちゃ、、使命があるはず、、なんたらかんたら、、、





日本人本当に多いよね〜〜〜笑



 はははっ〜〜!!笑笑笑





産まれてきただけで




マジで万々歳だったのだ




もう産また瞬間に役割終わってた!!




っていうオチ!!(え〜〜!汗笑)




産んでもらったっていう概念じゃなくて、

産まれてやったっていう概念がより健全なマインドを育む感じがするから、後者採用にするといいかもしれない。




前者は何か一方的な上下関係で、後者はお互い様っちゃお互い様の感覚だよね。




産む側よりも、産まれる側の方が大変だったかもしんないし。




どうもこの世は産む側の偉大さだけがクローズアップされているからバランス狂うんだよ。




わたしだって産まれてやったんだよ!!感謝してよね!!と強気でもいいんじゃない?笑




母親を得体の知れない大いなる存在と見すぎていたのだな。




ははは!マジでアホすぎなわたしだった。




親子とて、win-winのお互い様や。




「してもらった」と「してやった」は必ずセットだぜい!





だから全てのことにおいて気負うことはなかったのだ。




産まれてやったわたしだって、どう考えてもすごいやろ。(うんうん。)




お互い様!



こっちにも感謝してよね!



応援してね!



そうしてくれたらわたし嬉しいし!



そしたらわたしも元気に頑張れちゃう!




これが本音じゃんね。



大人ぶんなくたっていい。



謙虚のふりもいらない。



物悲しい一匹狼にならなくていい。



軽やかでいいよね。



大人ムードでおしとやかに〜〜なんてすぐ飽きる。



粋のいいピチピチ魚がいいじゃん。




そう本音になって初めて相手にも心の底から嘘偽りなく、「おめでとう!」とか励ましが言える。




今日はそんなことをふと思った。




そう、もう罪悪感なんて必要ないんだから。




してもらい、してやり、で世界は健全に豊かに今日も回っている。


















結婚して海外に移住するハメに!?


な夢をみた今朝!あはは〜!!!




面白く愉快な夢であったのだ。




今日も愉快な一日を♡

社長を経験した後は投資家になりたい


そうなんだな〜。



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たくさんのスタートアップ企業の人と会ってみてやはり思うのである。





責任者として会社を自分でつくったり、運営したりした人って、将来は若い会社経営陣をサポートする投資家になりたいっていう人が多いんだよね。





「できなかった」状態から「できた」を実現した道をあるいた人は、今度は同じように誰かの「できた」を導いていくお手伝いをしたいと自然と思うもんだと思う。





歩いたその道が、自分に自信や仲間や心の豊かさや、そんな無限のエネルギーを与えてくれたものだと知っているから。




わたしは治療家になりたかった。




治療家って、人の「できない」を「できる」に導き、可能性の扉を開く人のことを言うのだと思う。




投資家も同じ。(まぁ、ここでは健全な投資家という意味で。)




今の「現実」には「ない」ものを、「理想」の「ある」に導く人。





ここでもやっぱり、




ない」と「ある」の間で揺れ動く。




「現実」と「理想」の間で揺れ動く。




この二つの世界を絶妙なバランスで行き来できる人ってすごい波乗り上手なんだなぁ。。





「みえる」と「みえない」



「わかる」と「わからない」



「できる」と「できない」



「ある」と「ない」



コインの裏表をくるくると自由に行き来するような感じ。




行き来するバランスが崩れると机の上で回っていたコインが倒れちゃうけど、自由に行き来できていると、コインもずっと回っていられる感じ。




けど、バランスを崩して時に倒れるのが、本物のわたしたち人間。




常に永遠に回り続けるコインは、偽ものなのかもしれない。




それは神だけが成せる技で、わたしたちは神にはたらずとも、神を目指し、その過程を楽しむ、そういう存在なのかもしれない。





最善を尽くすってそういうことなのかもしれない。




いま、とある映画のシーンが頭に浮かんでいる。




あの映画は、確かコマを回転させていたな 笑




そういうことなのかもしれない。




人が回してるコインなんてのは、他人からは見えないもんだと思う。




でもみんな、自分のコインを持っているんだと思う。




自分のコインが倒れても、他の誰かのコインはまだ回っている。




誰かのコインが回っている限り、何度でも回し直すチャンスはあるのだと思う。





そうやって、全体のバランスをとっているんじゃないだろうか。




世界のどこかにいる誰かさんが今日もコインを回し続けている。



















お客さんはよく知ってる


今日はさ、表参道の素敵〜なお野菜と玄米の創作カフェにランチに行ったのよ。





その値段でその質と味があって



それでこその



「満足」がある。




質がいいから、味がいいから、




だけじゃ、満足なんてならない。




しっくり〜!ってきたときに満足になる。




質も、味も、サービスも、値段も




ピタッとそれらの「バランスが理に適ってんな!って自分が納得できたとき」




一番、「美味い!」って感じる




そう。そんで、表参道で食べたヘルシーご飯はめっちゃうまかった。




そして値段もそれなりにした。




けどね、吉野家で食べた生姜焼き定食の方が満足したのよ!笑




自分でもびっくり。




けど、確かに満足感は吉野家が優ってた。




そして、満足感がハマった方の食事が、健康的だなとなんか感じちゃったのよね。





きっと吉野家のお肉もお米も、そんないいわけじゃないのはわかる。




いい野菜にいい調理にいい味で、しかも発酵玄米のお店の方が明らかに健康的!ってなるように思う。




けど、食べる人の満足感が健康的かどうかを決めるんだとわかっちゃった。




生活水準とか価値観とかみんな違う。




自分にしっくりくるバランスは人それぞれに。




人間は面白い




「お主、バランスが絶妙に美味いの〜!!!」




今日は、おいしいって言葉の深みを知った。




おいしいは、バランス。




自分との関係性のバランスなんだ。




食事も友達の関係性と同じってことだ。









安心安全・無力無敵


安心してるから安全であって



無力だとわかってるから無敵であって



安心安全無力無敵〜



これめちゃんこパワフルな言葉なんだなぁ〜。



先御霊串御霊〜



のやつと同じだなぁなんて思う 笑




初めては本当に怖いよね



怖くないとしたら、それ初めてじゃないんだよ



心安まる場所がちゃんと他にあるとか、そんな感じなんだと思う



だから怖がってる人をバカにしちゃいかん



バージンは誰だって怖いんだよ



心の通わないセックスがうんざりするのと同じくらい



心の通わない関係性なんて必要ないんだね



お仕事ってそういうこと



お互いの心が通って初めていい循環が生まれて、育まれて、自然と大きくなっていく




だからね、やっぱり人をバカにしちゃいかん




安心安全無力無敵な状態がうまくいってないだけ。




安心安全無力無敵



(明朗快活美人美尻!これは追加。。笑)





目のアレルギー

目に映るもの全部が敵に見えているから炎症が起きるようだ。



ちょーーー!!!痒かったのが、





「わたしは信じる」




ってみぞおちから放ったら、




一瞬で痒みが引いてしまったのだ。




あら、びっくり!




わたしは信じます。




わたしはあなたを心から信じます。




たったそれだけ〜〜




まじかーーい!笑




シャンプーやら水やら何やらかんやら変えたけど、そりゃ効かないよな。




信じる心が戻んなきゃ、全ての使い道は失われ、すべて敵になってしまう。




モノを使うのは、単に消費するんじゃなくて、それぞれの使い道を知ることだった。




この使い道はなーんだ??









お・も・て・な・し

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ふと、「おもてなし」という言葉が思い浮かんだ。




「おもてなし」って、要は「こころ」の在り方の呼び名なんだね。




持って為す。




万事こころを持って最善を為すというのがしっくりくる。




目配り、気配り、心配り、人間の五感やさらにはそれ以上の感覚を全開にして為す。




相手がやってくる前から準備して、相手が去った後までも、また再来してもらう日に向けて祓い清めておく、そんなイメージです。




おもてなし・・・




心地よく呼吸ができますように・・・との祈りの行いみたいだ。